金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人はお金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。(テモテへの手紙第一6章9節ー10節)

1.テモテへの手紙第二3章1節ー7節
2.ヤコブの手紙1章13節ー22節
3.ヤコブの手紙4章1節ー4節
4.ヨハネの手紙第一2章15節ー17節

軍事力や経済力によって国の強さがはかられますが、その力や富が神からのものでなく欲によるものであるなら、ヤコブの手紙4章1節が「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。」と語っているように、平和な世界を築くことは不可能なのではないでしょうか。ですから、パウロはまず「敬虔を利得の手段と考えている人たちの間には、絶え間のない紛争が生じるのです。しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。」と語ってから、「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人はお金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。」と警告しているのではないでしょうか。ところで、お金を愛する生き方は、「お金があるからできる。お金がないからできない。」というような考えで生きてしまうので、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通さないように、父なる神は私たちが何が必要なのかをご存知であるだけでなく必要を満たす方であることを忘れずに、イエス様が仰せられたようにお金ではなく、主を、隣人を愛し、物事の決定権が、主権者である神ではなく、お金になってしまうようなことのないようにしようではありませんか。