あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。(エペソ人への手紙1章16節ー17節)

1.イザヤ書11章1節ー5節
2.ヨハネの福音書14章22節ー26節
3.コリント人への手紙第一1章18節ー25節
4.テモテへの手紙第二1章16節ー2章8節

パウロは「キリスト者には御霊が与えられているにも関わらず「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。」と、祈っているのは「知る」という言葉「グノーシス」ではなく「エピグノーシス」、すなわち今知っている状態でとどまるのではなく、さらに深く知るように願っているからです。福音書の弟子たちは三年半イエス様と寝食を共にし、イエス様からご自身がエルサレムで長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえることを聞いていましたが、クレオパともう一人の弟子がエマオへの途上、イエス様がパンを取って祝福し裂いて彼らに渡されるまで、一緒に歩いていたのがイエス様だとわからなかったのですが、イエス様と分かった二人がエルサレムに戻り、道であったことを他の弟子たちに話している間にイエス様ご自身が彼らの真ん中に立たれたのに驚き恐れて、霊を見ているのだと思ったのは、聖書をまだ理解していなかっらからでした(ルカの福音書24章13節ー41節、ヨハネの福音書20章9節)。イエス様は「父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊はあなたがたにすべてのことを教え、また、わたしが話しておいたことを思い起こさせてくださる。(ヨハネの福音書14章26節)」と仰せられたように、聖霊に満たされたパウロや弟子たちはイエス様を深く知る人へと変えられたのでした。聖書は御霊によって書かれた神のことばで、神がどのような方なのかを教えてくださいます。日々、イエス様に注がれた主の霊である(イザヤ書11章1節ー2節)神のみこころを教えてくださる(啓示を与えてくださる)御霊を消したり(テサロニケへの手紙第一5章19節)、御霊を悲しませる(エペソ人への手紙4章30節)ような肉の思いや欲望に支配されないように、御霊によって歩むことができるように(ガラテヤ人への手紙5章16節)、みことばに生きることができるように心がけるとともに、お互いのためにも祈ろうではありませんか。