神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによって自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。それは、神はその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。(エペソ人への手紙1章5節ー6節)
1.ヨハネの福音書1章9節ー17節
2.ローマ人への手紙8章15節ー16節
3.ガラテヤ人への手紙3章23節ー4章7節
4.エペソ人への手紙2章1節ー19節
創世記1章27節に「神は人をご自分のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らた創造された。」とありますが、そこには「神の子」という表現はありません。ところで、アダムは「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べて良い。しかし、善悪の知識の木から取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と警告されていたにもかかわらず(創世記2章16節-17節)、「あなたがたは決して死にません。」と、偽りの父である悪魔のことばを信じて食べてしまったエバから渡されると、アダムも食べて罪を犯したのでした。神である主から「食べてはならない、と命じていた木から食べたのか。」と問われると、アダムはエバに、エバは蛇(悪魔)に責任転嫁したので、主は蛇に「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意をおく。彼はお前の頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。(創世記3章1節ー15節)」と、女の子孫、すなわち人としてマリアから生まれた御子イエスが悪魔に勝利することを預言されたのでした。ヨハネの福音書1章12節は、この方、すなわちイエス様を信じ人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった、とありますが、パウロは「神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによって自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。それは、神はその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。」と、恵みによるものであることを、神の愛によるものであることを語っています。恵みとまことに満ちておられる主を、御子をお遣わしになられた神を誉めたたようではありませんか。