外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。(ローマ人への手紙2章28節ー29節)
1.ヨハネの福音書3章1節ー7節
2. 使徒の働き7章44節ー 51節
3.ガラテヤ人への手紙6章12節ー16節
4.エペソ人への手紙2章10節ー22節
イエス様は神に選ばれた民としての選民意識があったユダヤ人の指導者であったニコデモに「まことに、まことに、あなたに告げます。人は新しく生まれなければ、神の国を見ることができません。・・・まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」と告げました。イエス様はユダヤ人たちが待ち望んでいたメシアであったにもかかわらず、律法学者やパリサイ人たちは律法による自分の義に生き、キリストを信じることによって与えられる神の義を知らなかったために、ことばのわなを仕掛けたり、群衆を先導してイエス様を十字架にかけて殺してしまったのでした。ですから、キリスト者になったパウロは「外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」と、からだの割礼は人によって行われますが、心の割礼は人の手によるものではなくイエス様を信じることによって与えられる聖霊によるものであり、恵みによるものであることを心に据えて、イスラエルの民と同じく神の民、神の家族とされていることを(エペソ人への手紙2章19節)喜んで生きるようにしようではありませんか。