あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それはあなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。(ヨハネの福音書15章16節)

1.サムエル記第一16章1節ー23節(使徒の働き第13章16-23節)
2.イザヤ書49章1節ー7節
3.コリント人への手紙第一1章18節ー29節
4.エペソ人への手紙1章3節ー7節

イエス様は「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それはあなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。(ヨハネの福音書15章16節)」と話されました。ところでイザヤ書49章7節やパウロが「兄弟たち。あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者を恥ずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。(コリント人への手紙第一1章26節ー27節)」と語っているように、サウルから命を狙われ逃亡生活を余儀なくされたダビデが「私の右のほうに目を注いで、見てください。私を顧みる者もなく、私の逃げる所もなくなり、私のたましいに気を配る者もいません。私のたましいを、牢獄から連れ出し、私があなたの御名に感謝するようにしてください。正しい者たちが私の回りに集まるでしょう。あなたが私に良くしてくださるからです。」と祈られると(詩篇142篇1節-7節)、彼の家族だけでなく、主がダビデのもとに送られた四百人は「困窮している者、負債のある者、不満のある者」でした。サウルは優秀な者を集めて軍隊を作ったのですが、やがて彼らはイスラエルを救う勇者となっただけでなく神を知る者となられたのでした。主の選びは人と異なっていることを、ダビデの祈りにどのように主が答えられたかを思い起こし、豊かな実を結ぶために、主にラバれている存在であることを、主が主権者であることを心に据えて生きるようにしようではありませんか。