主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことがないからだ。若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。(詩篇34篇9節ー10節)

1.詩篇23篇1節ー6節
2.マタイの福音書6章27節-34節
3.コリント人への手紙第二6章1節ー10節
4.ヤコブの手紙1章12節ー17節

サウル王からいのちを狙われたダビデは逃亡生活をする間に様々なことを経験しましたが、「主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことがないからだ。」と、主を恐れる、すなわち主に対して畏敬の念を持つように勧めると共に聖徒たち、すなわち贖われた者たちに与えられている特権をも語っています。多くの苦しみを体験しましたパウロは捕らわれの身でありながら「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」と語ってから「私は、どんな境遇にあっても満ちたりることを学びました。(ピリピ人への手紙4章4節及び11節)」と語るとともにテモテに「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。(テモテへの手紙第一5章6節)」と教えておられますが、満ち足りる心はダビデが「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。(詩篇23篇1節)」と、イエス様が「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも決して渇くことがありません。(ヨハネの福音書6章35節)」と仰せられたように、満ち足りる心は羊飼いであるイエス様によって与えられるものであることがわかります。ですからダビデは「若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。」と語ったのではないでしょうか。イエス様はスミルナの教会に「わたしは、あなたの苦しみと貧しさを知っているーしかしあなたは実際は富んでいるー」と言われました(黙示録2章9節)。パウロが「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。(エペソ人への手紙1章3節)」と語っているように、父なる神をほめたたえて生きようではありませんか。