信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。(ヘブル人への手紙11章8節)
1.創世記12章1節ー4節
2. 申命記28章1節ー13節
3. 使徒の働き4章1節ー22節
4. 使徒の働き5章12節ー42節
今日の聖句は「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」と神に喜ばれる生き方を語っています。ところで、パウロは信仰について「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。(ローマ人への手紙10章17節)」と語っています。ですから、パウロはアテネの町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じて会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じたのでアレオパレスの議会で話す機会が与えられたのでした。そこで彼は「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。」と、信仰深さ、ではなく宗教心と語ったのでした。ところでアブラハムが信仰の父と言われるのはアブラムと呼ばれていた時、今日の聖句が語っているように、「あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福しお、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」と、仰せられた主のことばを、アブラムはただ聞いて終わるのではなく、主のことばを信じ、主が仰せられたとおりに出かけたからではないでしょうか。ヤコブが「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。(ヤコブの手紙1章23節)」と勧めているように、主が喜ばれるように主を信じ、みことばで生きることができるように御霊に助けていただこうではありませんか。