どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。(テサロニケ人への手紙第二2章16節ー17節)
1.ローマ人への手紙8章31節ー39節
2.コリント人への手紙第二1章2節ー6節
3.ペテロの手紙第一1章3節ー9節
4.ヨハネの手紙第一4章7節ー10節
イエス様は「人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。彼らがこういうことを行うのは、父をもわたしをも知らないからです。(ヨハネの福音書16章21節ー3節)」と仰せられたように、パリサイ人として律法による自分の義に生きてキリスト者を迫害していたパウロはダマスコの途上でイエス様から「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」と声をかけられるまで、他のユダヤ人同様神に対して熱心でも神が、イエス様がどのような方なのかを知らずにいたのですが、イエス様がパウロがどのようなことをしているのかを話されたアナニヤに「行きなさい。あの人はわたしの名を異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶわたしの選びの器です。彼がわたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。(使徒の働き9章1節ー16節)」と仰せられたように、キリスト者となり聖霊に満たされたパウロは多くの苦しみを受けましたが、キリスト・イエスにある神と神の愛を知り、神の慰めを受け、神の恵みを無駄にしないように生き、「どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。」と祈られました。神の偉大さを忘れ、時には肉の思いに生き、時には人を恐れて不信仰に走ったイスラエルの民のようにでなく、私たちも、あらゆる良いわざとことばとに進むよう心を慰め、乗り越える力を与えて強めてくださる神を忘れないように生きようではありませんか。
