お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(エペソ人への手紙4章32節)
1.マタイの福音書6章7節ー14節
2.マタイの福音書18章21節ー35節
3.ルカの福音書23章32節ー43節
4.コロサイ人への手紙3章2節ー17節
パウロはナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えてエルサレムだけでなく、キリスト者を迫害するために向かっていたダマスコの途上で「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ」ということばを聞いて「主よ。あなたはどなたですか」と問うと、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起き上がって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現れて示そうとすることについてあなたを奉仕者、また証人に任命するためである。わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。」と、迫害していたイエス様から有罪判決が下されたのではなく、かえって主は救いを約束され、キリストの証人として任命されたのでした。赦しを経験したパウロは「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」と、心の優しい人になることを可能にするのは自分の努力というよりも、神に赦されていることを自覚することであることを語っています。一万タラント(六千万デナリ)の借金を赦されているにも関わらず、赦されていることがわからずに百デナリの借金のある仲間の首を絞めて「借金を返せ」と言って借金を返すまで牢に投げ入れたようなしもべ(マタイの福音書18章24節ー30節)にならないように気をつけようではありませんか。