わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それこそ、天のおられる父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。・・・・あなたがたは天の父が完全なように、完全でありなさい。(マタイの福音書5章44節ー45節及び48節)。

1.ローマ人への手紙5章7節ー11節
2.ローマ人への手紙7章18節ー8章4節
3.ローマ人への手紙12章17節ー21節
4.ヨハネの手紙第一4章7節ー9節 

ヨハネはイエス様のことを「ことば」と表現してから、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまこと満ちておられた。・・私たちは皆、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。」と語ってから「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を解き明かされたのである。」と神を知る道は唯一であり、それは神の御子であられるイエス・キリストを知識として知るだけでなく、その生き方を見ることにあるのではないでしょうか。イエス様は「わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それこそ、天のおられる父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。・・・・あなたがたは天の父が完全なように、完全でありなさい。」と勧告しておられますが、祭司長、民の長老たちからねたまれてピラトに引き渡され、バラバの代わりにむちで打たれ、十字架にかけられただけでなく、行き交う人々からあざけられたり、同じように十字架にかけられていた犯罪人からも悪口を言われていても、イエス様は「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と、神を父と呼ばれ、とりなして祈られたイエス様ご自身に見られたことではないでしょうか。私たちも神の子とされている事を自覚し、イエス様がどのように生きられたかを忘れずに、パウロのようにキリストを見ならって生きるように心がけようではありませんか(コリント人への手紙第一11章1節)。