主はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる。(ナホム書1章7節)
1.サムエル記第一30章1節ー20節
2.詩篇46篇2節ー4節
3.ヨハネの福音書10章11節ー15
4.ヘブル人への手紙4章14節ー16節
主はエリアブを見て「確かに、主の前で油を注がれる者だ。」と思ったサムエルに対して「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」と仰せられ、父エッサイも考えなかったダビデに油を注ぐように主は仰せられたのでした。ダビデの生涯を見ると、肉の思いで行動して失敗したことが何度もありますが、窮地に陥ると常に主に立ち返り、主からの助言を求めたのでした。今日の聖句が「主はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。」と語っているように、主は「自業自得でしょう。」と突き放すことはせず、助言を与え励まされ、主の助言を信じて行動すると勝利が与えられたのでした。今日の聖句が「主に身を避ける者たちを主は知っておられる。」とも語っているように、主は父エッサイよりもダビデをよくご存じだったのでした。イエス様からヨハネの子シモン。あなたはこの人たち以上に、わたしを愛しますか。(アガパオ=神の愛で愛しますか)」「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか(アガパオか)。」と二度神の愛で愛するのかを問われたペテロが「はい。主よ。私があなたを愛することは(フィレオ=友情)、あなたがご存じです。」と二度とも、もはや自分を誇る事をせず「フィレオ」と応答すると三度目にイエス様から「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか(フィレオ)」と問われると、心を痛めて「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛すること(フィレオ)を知っておいでになることを知っておいでになります。」と自分以上に主の方がご存じであることを告白されたのでた。主はそのようなペテロに天の御国の鍵を与えられたのでした(マタイの福音書16章19節)。やがて聖霊に満たされたペテロは生まれつき足のなえた人が癒されたのは「イエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。(使徒の働き3章16節)」と人々に証しされたのでした。主は私たちのことを、私たちの弱さを(時には気がつかないうちに自分を誇っていると言う弱さも含め)、私たち以上によくご存じであることを、主はいつくしみ深い方であることを忘れずに、自分でなんとかしようとするよりも、ダビデのように、苦難の日のとりででありいつくしみ深い主に立ち返るようにしようではありませんか。
