罪からくる報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ人への手紙6章23節)
1.ヨハネの福音書5章19節ー24節
2.ヨハネの福音書6章35節ー40節
3.ヨハネの福音書10章10節及び22節ー30節
4.ヨハネの手紙第一5章5節ー13節
主はアダムに「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。」と自由を与えられましたが「しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。(創世記2章16節ー17節)」と、主のことばに従うように警告されたのですが、神の警告を直接聞いてなかったために悪魔の試みられ、神が禁じた善悪の知識の木から取って食べてからアダムに与えたのでアダムも食べて罪を犯したために人類に死が臨ことになったのですが、神は人類を救うため御子イエス様を人としてこの世のお遣わしになられ、十字架の死をもって死をもたらす罪やサタンの支配から解放する道を開かれたのでした。ですからイエス様は「わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。(ヨハネの福音書6章39節ー40節)」と仰せられるとともに、「主よどこにおいでになるのですか。」と不安がっている弟子たちに「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとにくることはありません。(ヨハネも福音書14章6節)」と仰られたのでした。自分のうちに罪があることを気付かされたパウロは自分のみじめさを味わいましたが、「今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」と大胆な発言をしましたのは「肉によって無力になったため、律法にはできないことを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。(ローマ人への手紙8章1節及び3節)」と、十字架の意味を知ったからではないでしょうか。どんなことがあっても、私たちがいろいろ失敗を重ねても今日の聖句「罪からくる報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」を、主の賜物は取り去られることがないことを、天に国籍があることを忘れずに、救われいること喜んで生きるように心がけようではありませんか。