幸いなことよ。主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者のほうに向かなかった、その人は。(詩篇40篇4節)

1.詩篇1篇1節ー3節
2.マタイの福音書24章1節-35節
3.テモテへの手紙第二3章12節ー17節
4.ヤコブの手紙4章4節ー10節 

世の人々が考える幸いなこと、幸いな人と聖書が語る幸いなこと、幸いな人の違いを今日の聖句「幸いなことよ。主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者のほうに向かなかった、その人は。」に見ることができるのではないでしょうか。パウロは「この世と調子を合わせてはいけません。(ローマ人への手紙12章2節)」と、ヤコブは「貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することでるのがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。(ヤコブの手紙4章4節)」と、ヨハネは「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。・・・すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。(ヨハネの手紙第一2章15節ー16節)」と語るとともに「私たちは神からの者であり、世全体は悪い者の支配下にある。(ヨハネの手紙第一5章19節)」と語っています。イエス様は世全体を支配している悪い者、すなわちサタンとも呼ばれる悪魔は偽り者の父と語っています(ヨハネの福音書8章55節)。パウロは終わりの日には困難な時代がやってくる。と語ってから「悪人や詐欺師たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます悪に落ちて行くのです。(テモテへの手紙第二3章13章」と語っていますが、ミャンマーにあった詐欺集団のニュースはまさしく困難な時代であることを思わされますし、興味深いことに「嘘も方便」ということばが象徴するように、偽りを罪と考えるのではなく状況によっては便宜的に用いることのできるものと考えているのは世全体を支配している悪魔の影響を受け(エペソ人への手紙2章2節)霊的な目が閉ざされ、人を創造された義なる神である主を知らないことによるのではないでしょうか。天地万物を創造された主を信頼し生きるようにしようではありませんか。