感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。(詩篇50篇23節)
1.ローマ人への手紙5章6節ー11節
2.ピリピ人への手紙4章4節ー7節
3.コロサイ人への手紙2章13節ー17節
4.テサロニケへの手紙第一5章15節ー18節
パウロは、パウロのことを見下げるような人がいるコリントの教会にも他の書簡に見られるように、「私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」と祈られてから、「私はキリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。」と、「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の人になりなさい。(コロサイ人への手紙3章15節)」と、テサロニケの教会に「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでいることです。(テサロニケへの手紙第一5章19節)」と、感謝できないようなことも、すべてのことを感謝するように勧める人に変えられたのですが、その秘訣は今日の聖句「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。」に見られるのではないでしょうか。「喉元過ぎれば熱さを忘れる。」とあるように、癒された十人のうち癒されたことがわかると、イエス様に感謝されたのはひとりだけでした(ルカの福音書16章11節ー19節)。感謝できないようなことに直面した時、問題に目を留めるのではなく、問題を解決してくださる主がおられることを、どんな出来事も主の許しなしに起きることがないこと、主のご計画があることを思い起こして主を崇めて感謝し、今日の聖句が「その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」と語っているように、神の救いを見るために主との関係を吟味し、主を誉めたたえて生きるようにしようではありませんか。