ご承知のように、あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。(ペテロの手紙第一1章18節ー19節)
1.マタイの福音書15章1節ー9節
2.マルコの福音書7章1節ー8節
3.ルカの福音書22章7節ー20節
4.コリント人への手紙第一11章23節ー26節
今はお盆の時期です。日本中でご先祖様が迷うことなく帰れるように8月13日には迎え火を焚いて迎え、16日には帰ってのを見送るために、京都の大文字焼きにも見られるように、夕方送り火を焚く伝統が受け継がれてきましたが、不思議なことにお盆以外の日は仏壇にご先祖様はいないにもかかわらず、お水や食べ物を備えて拝み、それを敬虔なことと思っているのではないでしょうか。パウロは「ご承知のように、あなたがたが異教徒であった時には、どう導かれたとしても、引かれて行った所は、ものを言わない偶像のところでした。(コリント人への手紙第一12章2節)」と語っています。みことばと対立してしまうような伝統や言い伝えがありますが、イエス様は罪人を救うために十字架にかけられるご自分のからだのことをパンに、十字架で流されるご自身の血をぶどう酒にたとえられ、イエス様のことを覚えて行うように仰せられたのでした。パウロは主が来られる、すなわち「王の王、主の主」としてこの世に再臨するまで十字架の死を覚えて聖餐式が行われることを語っています(コリント人への手紙第一11章26節)。三度イエス様を否定したペテロは十字架の意味を知る者となられ「ご承知のように、あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」と語っています。人々の心の目が開かれ、十字架の意味を知ることができるように祈りましょう。