わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。(詩篇32篇8節)
1.詩篇119篇97節ー99節
2.ダニエル書9章16節ー22節
3.ヨハネの福音書8章1節ー12節
4.ヨハネの福音書9章1節ー39節
一般的に「悟り」は自分で物事の意味を理解するように思われがちであり、仏教用語としては、物事の真理に気づき、心の迷いをふりほどくことを意味し、悩みや迷いを振り落とした状態を意味するようで、その手段として厳しい修行が伴うものではないでしょうか。しかし、今日の聖句は「今日の聖句は「わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。」と、悟りは自分から開くものではなく主が与えてくださることを語るとともに、主は私たちに目を留めてくださり、助言を与え、行くべき道をも教えてくださることを語っています。モーセの後、民を約束の地に導き入れる使命が与えられたヨシュアに主はモーセとともにおられたようにともにいてくださることを約束されただけでなく(ヨシュア記1章5節)、岸いっぱいにあふれるほどの水かさをもったヨルダン川を渡るために「あなたは契約の箱をかつぐさいしたちい命じてこう言え、『ヨルダン川の水ぎわに来たとき、あなたがたはヨルダン川の中に立たなければならない』」と助言を与えたのでした。祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき、紅海の時のように川の水は二つに分かれてかわいた地を通り対岸に渡ることができたのでした。主はエレミヤに「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなることをあなたに告げよう」と仰せられました(エレミヤ書33章3節)。詩篇49篇20節は「人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ滅びうせる獣に等しい。」と語っています。今日の聖句を心に据えて、私たちをいつも見守り、悟りを与えて導いてくださる主を信頼して生きるようにしようではありませんか。