神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8章28節)

1.伝道者の書3章1節ー11節
2.イザヤ書43章1節ー7節
3.イザヤ書46章3節ー13節
4.ダニエル書4章29節ー37節

ソロモンは「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」と語ってから、「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時時がある。・・・泣くのに時があり、ほほえむのに時がある」と、人がこの世に誕生してからこの世を去るまでの間、経験する両極について語ってから、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」と、人には理解できないことがあっても主は主の時にすべてを美しくされる、と結論づけられましたが、それはパウロのことば「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」に通じるものではないでしょうか。前方には紅海、後方からはエジプト軍が迫ってくるのを見たイスラエルの民は、モーセに「エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのですか。」とつぶやいたのですが、主は紅海を二つに分けてご自身の力を現されたのでした。私たちも、神の存在を忘れて不信仰に陥って、つぶやいてしまうようなことがありますが、そのような時も、主は共におられることを忘れずに、パウロのように主はすべてのことを益としてくださることを、ソロモンのように主の時があることを知る者になろうではありませんか。