民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、我らの避けどころである。(詩篇62篇8節)
1.詩篇37篇1節ー9節
2.箴言3章5節ー7節
3.ローマ人への手紙8章28節ー39節
4.ペテロの手紙第一5章7節ー11節
イエス様は「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)」と、「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。(ヨハネの福音書6章35節)」と仰せられるとともに、イエス様は祭りの終わりの大いなる日に大声で「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。(ヨハネの福音書7章37節ー38節)」と仰せられたように、イエス様は心の飢え渇きを満たすことができることを断言されたのでした。パウロが「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」と語っているように、主はすべてのことを益としてくださる力ある方であることを知っているなら、今日の聖句が「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、我らの避けどころである。」と勧めているように、苦悩しているとき、失望しているとき、自分で自分を責めているようなとき、心が傷ついているときなど、どんなときにも心のうちを正直に申し上げ、心の状態を主に明け渡して心に平安を持つことができるのではないでしょうか。信仰の創始者であり完成者であり、心の重荷を負ってくださる癒し主であるイエス様を信頼し、心のうちを正直に申し上げて主からの安らぎと力をいただいて生きようではありませんか。