自分を打つ者に頬を与え、十分そしりを受けよ。主はいつまでも見放してはおられない。たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによってあわれんでくださる。主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。(哀歌3章30節ー33節)
1.詩篇106篇43節ー48節
2.コリント人への手紙第一9章24節ー10章13節
3.ヘブル人への手紙5章7節ー10節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー11節
イエス様は「『目には目で、歯には歯で』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には左も向けなさい。」と仰せられてから続けて「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのをあなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。」と仰せられてから「天の父が完全なように、完全でありなさい。(マタイの福音書5章38節ー48節)」と仰せられたように、主は真実を語ったにも関わらず、十字架につけられる前に、人々からつばをはきかけられたり、こぶしでなぐられたり、平手打ちをくらったりされましたが(マタイの福音書26章39節ー67節)、彼らのためにとりなして祈られたのでした。イエス様は「多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされた。(ヘブル人への手紙5章8節ー9節)」と、ペテロの手紙第一5章10節は「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」と、語っています。今日の聖句が「自分を打つ者に頬を与え、十分そしりを受けよ。主はいつまでも見放してはおられない。たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによってあわれんでくださる。主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。」と語っていますが、イエス様の生き方、ペテロのことばにその答えを見出すのではないでしょうか。