幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。神がご自身のものとしてお選びになった、その民は。(詩篇33篇12 節)
1.ローマ人への手紙8章28節ー39節
2.コリント人への手紙第一6章14節ー20節
3.エペソ人への手紙1章3節ー14節
4.ペテロの手紙第一2章4節ー10節
アサフは「まことに神は、イスラエルに、心のきよい人たちに、いつくしみ深い。しかし、私自身は、この足がたわみそうで、私の歩みは、すべるばかりだった。それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、悪者の栄えるのを見たからである。」と、「どうして神が知ろうか。いと高き方に知識があろうか」と高ぶっている人々が富を増しているような不条理な状態を見て悩みましたが、「私は、神の聖所に入り、ついに、彼らの最後を悟った。」と、やがて彼らが侮った主によって滅ぼされることを悟るとともに、「あなたは、私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。」と、将来がどんなに明るいものであるかを語っています(詩篇73篇1節ー24節)。ですから、エレミヤ書9章23節ー24節は「主はこう仰られる。『知恵のある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富むものは自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。ー主の御告げー』」と語っているのは、人の知恵や力、富は罪や死の解決を与えることはできないことを、神は御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになり、恵みとまことを実現してくださり、公義と正義を行われたことを留意するように勧めておられるのではないでしょうか。今日の聖句「幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。神がご自身のものとしてお選びになった、その民は」を心に据え、この世の不条理を嘆くのではなく、主を知っていることこそが最も幸いなことであることを、主のものとされていることを忘れず、今日の聖句が日本に成就するように福音宣教の働きを主が祝されますように祈りましょう。