私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(ピリピ人への手紙4章13節)

1.詩篇18篇30節ー34節
2.ヨハネの福音書14章6節ー14節
3.使徒の働き1章3節ー8節
4.コリント人への手紙第二12章1節ー10節

人は思考を変えれば人生が変わると考えて、可能性思考、肯定的思考、積極的思考が提唱されてきました。しかし、そのように考えることができる強い方とそのように考えることができない弱さを抱えている方にはかえって、ますます弱さの中に追い込まれてしまうのではないでしょうか。みことばにも可能性思考、肯定的思考、積極的思考、と言われるような記事がありますが、この世の知恵との大きな違いは自分で自分の考え方を変えて奮い立ったり、自分の可能性を広げたりするのではなく、パウロが「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」と語っているように、神との関係の中で樹立するものであるという根本的な違いがあるのです。パウロは肉体に一つのとげが与えられた理由を、啓示があまりにもすばらしかったので高ぶることがないためであると知っておられましたが、それでも、三度も主にいやしてくださるように祈りましたが、その祈りはかないませんでしたが、主から「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と、その理由を知らされた彼は「キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」と(コリント人への手紙第二12章7節ー10節)、この世が知らない神の力とであり神の知恵であるキリストに生きたのでした。弱さを覚える時、弱さの中に座り込んでしまうのではなく、私たちを励まし、強くしてくださる神の力、神の知恵であるイエス様を仰ぎ見て生きようではありませんか(コリント人への手紙第一1章18節ー25節)。