「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。(コリント人への手紙第二4章6節)
1.ヨハネの福音書12章20節ー28節
2.ヨハネの福音書17章1節ー5節
3.使徒の働き26章2節ー20節
4.ローマ人への手紙8章15節ー18節
創世記1章3節に「神は仰せられた。『光があれ』すると光があった。」とありますが、ヨハネの福音書1章1節ー5節は「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」と、イエス様を「ことば」と表現し、天と地だけでなく、光やさまざまな植物や動物、人も、すべてのものはイエス様によって創造されたことを語っていますが、そのような御子イエス様を神は罪や死から人類を救うために人としてこの世にお遣わしになられ、十字架の死をもって罪の赦しを、死からのよみがえりをもって神の栄光を現されたのでした。パリサイ人であったパウロはキリスト者を迫害していたのですが、ダマスコの途上で太陽よりも明るく輝く天からの光を見て地に倒れ、イエス様から声をかけられたことによって心の目が開かれてイエス様を信じる者となり「『光が、やみの中から輝き出よ』と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。」と告白しています。人はこの世を去るまでさまざまなことを、不条理なことも経験しますが、イエス様ご自身も殺人や強盗を働いたバラバの代わりに十字架にかけられ、人々からさげすまされ、ののしられ、悪口を浴びせられ苦しまれたのですが、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、自分で何をしているのかわからないのです。」ととりなして祈られ、死からのよみがえりをもって神の栄光を現されたのでした。そのことを忘れずに、どんな時でも、すべてのことを益としてくださる信仰の完成者であり、復活をもって神の栄光を現されたイエス様を仰ぎ見て生きようではありませんか。