ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。(ピリピ人への手紙3章13節ー14節)
1.イザヤ書43章14節ー21節
2.コリント人への手紙第二5章15節ー17節
3.テモテへの手紙第一1章12節ー17節
4.ヘブル人への手紙11章8節ー16節
ソロモンは「雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ。木が南風や北風で倒されると、その木は倒れた場所にそのままある。」と、人の力ではどうすることもできないことがあること、過去に起きたことを起き上がらさせない、すなわち、過去に起きたことを認めても、過去に生きないように勧めています。パウロはテモテに「私は以前は、神を汚す者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。(テモテへの手紙第一1章13節)」と、また「ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」と、知らないとは言え、自分がクリスチャンを迫害していた事を語ってはいますが、過去に生きておられないことがわかります。その一方で、詩篇103篇2節は「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」と勧めています。主は今、現在は死からよみがえられて父なる神の右に座しておられ、私たちのためにとりなしておられますから、歴史的に見れば十字架は過去の出来事になります。恵みによって罪や咎からの贖われ、国籍が天にあり、永遠のいのちが与えられていることを、この世から主にお会いする天国目指していのちの道を歩んでいることを忘れないようにしようではありませんか。