私の敵。私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がり、やみの中にすわっていても、主が私の光であるからだ。(ミカ書7章8節)

1.詩篇27篇1節ー3節
2.箴言24章15節ー16節
3.イザヤ書8章22節ー9章7節
4.ヨハネの福音書1章1節ー5節 

神である主はアダムに「善悪の知識の木から取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と警告されてから「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」と仰せられてエバを創造され、アダムのところに連れて行くと、アダムは「これこそ、今や、私の骨の骨、私の肉の肉。これを女(イシャ)と名づけよう。これは男(イシュ)から取られたのだから。」と、そこには一体感が見られるのですが、蛇に化身した悪魔はアダムに仰せられた神からの警告を直接聞いていなかったエバに「あなたがたは決して死にません。」と偽りをもって神のことばを完全否定し、死なないという保証をしたのでエバもエバのそばにいたアダムも食べてしまい、神から食べたことを指摘されたアダムは神に謝らず、エバに責任転嫁をしたために、エバとアダムの関係に変化が起きてしまい、それ以来、時には、人間同士が敵意を抱くようになったのでした。神は、罪だけでなくそのような状態から人類を救うために「平和の君」である御子イエス様をお遣わしになられたのでした。律法学者とパリサイ人は姦淫の現場で捕えられた女性を民衆の真ん中に置き、「モーセの律法では石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」と尋ねられたイエス様は罪のない者から石を投げるように仰せられたので、律法学者やパリサイ人以外のすべての人はその場を去ったのでした。イエス様は女性に罪を犯さないように助言を与えられてから律法学者やパリサイ人に対して「私は世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです」と仰られたのでした(ヨハネの福音書8章1節ー12節)。サタンはユダを用いたように人を介して働いたり、肉の行いに走らせようとしますから真の敵は人ではなくサタンであることを心に据えて、人間関係で悩むようなことが起きても、肉の思いに悩んでも(ガラテヤ人への手紙5章19節ー21節)、恵みの座があることを、主はすべてのことを働かせて益としてくださることを忘れずに、今日の聖句が「私の敵。私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がり、やみの中にすわっていても、主が私の光であるからだ。」と宣言しているように、人の光であるキリスト(ヨハネの福音書1章4節)に生きるようにしようではありませんか。