望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。(ローマ人への手紙12章12節)
1.ローマ人への手紙8章18節ー27節
2.ピリピ人への手紙3章2節ー12節
3.ヘブル人への手紙12章2節ー13節
4.ペテロの手紙第一1章3節ー9節
イエス様はご自身がどのような目に会うのかをもご存知で(マタイの福音書16章21節)、ゲッセマネの園ではもだえ苦しみながら「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。(マルコの福音書 14章36節)」と祈られ、十字架上で「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになるのですか。」と大声で叫ばれたのでしたが、ヘブル人への手紙12章2節ー3節は「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスはご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」と語るとともに「あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」と勧めています。イエス様はゲッセマネの園で祈られた時、ルカの福音書22章44節には「汗が血のしずくのように血に落ちた。」とあります。自分を捧げることがどれほど苦しいのかを主は経験されたのでした。パウロの「望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。」というお勧めに生きるために、全生涯の罪が取り除かれていること、単なる望みではなく生ける望みが与えられていること(ペテロの手紙第一1章3節)、神の子とされていること、聖霊が与えられているので「アバ。父」と祈ることができることも、すべてイエス様を信じることによって与えられていることを忘れずに、ヘブル人への手紙が勧めているように、神の愛をお示しくださった恵みとまことに満ちておられるイエス様のことをいつも思って生きるようにしようではありませんか。