主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。(詩篇27篇1節)
1.出エジプト記14章8節―31節
2.ルカの福音書12章1節―7節
3. ヨハネの福音書1章1節―17節
4.ヨハネの福音書14章1節―6節
人々から好意をもたれておられたご家族が殺害されたり、突然ウクライナにロシアが侵攻し、今も戦争が続いて多くの方が苦しんでおられるように、いつどこで何が起こるかわからないような時代になり、人を信用するよりも人を恐れるような社会になってしまっているのではないでしょうか。ところで、箴言29章25節は「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。」と、人ではなく、すべてをご存知な主を見る生活を奨励していますが、数々の奇跡を体験したイスラエルの民でも追って来たエジプトを恐れ、イエス様と寝食をともにし、イエス様がどれほどの力と権威を見ていたペテロや弟子たちであっても、ペテロが人を恐れてイエス様のことを三度知らないと否定したように、私たちも人を恐れてしまうような弱さを抱えてしまいますが、そのような時、主が「天を引き延べ、地の基を定め、あなたを造った主を、あなたは忘れ、一日中、絶えず、しいたげる者の憤りを恐れている。(イザヤ書51章13節)」と語っているように、主を、主がどのような方であるかを忘れてしまっているのではないでしょうか。今日の聖句「主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。」を、万軍の主であるイエス様が聖霊なる神として内住しておられることを思い起こし、人を恐れるよりも、ダビデが「たとい私が『おお、やみよ。私をおおえ。私の回りの光よ。夜となれ。』と言っても、あなたにとっては、やみも暗くなく、夜は昼のように明るいのです。暗やみも光も同じことです。(詩篇139篇12節)」と告白しているように、「主は、私の光、私の救い。」と告白し、どんなことも益としてくださる主を仰ぎ見て生きようではありませんか。