主よ。あなたは、私のたましいの訴えを弁護して、私のいのちを贖ってくださいました。(哀歌3章58節)

1.出エジプト記14章1節―28節
2.ヨブ記16章19節―22節及び42章7節
3. 詩篇23篇1節―3節
4.テモテへの手紙第一 2章1節―6節

パウロは「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。(テサロニケへの手紙第一523節―24節)」と、平和の神、すなわち人の力や知恵ではもたらすことができない、神の怒りから救うために(ローマ人への手紙510節)十字架によって敵意を葬り去られ神と和解を与え平和を実現してくださったキリスト・イエスによって聖なるものとされ、責められないためにキリスト者の霊、たましい、からだが守られるように祈るとともに、主はそのことをしてくださるという確信を語っているのは、主がどのような方であるかをご存知だからではないでしょうか。ヤコブの手紙120節―21節は「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」とたましいの救いについて語っています。今日の聖句が「主よ。あなたは、私のたましいの訴えを弁護して、私のいのちを贖ってくださいました。」と語っているように、主は私たちの祈りや願いを日々お聞きくださるだけでなく、すべてのこと、すなわち私たちの失敗や過ちをも益としてくださる方であり、私たちが罪に定められないようにとりなしていてくださっておられる弁護者が天におられることを語っています(ローマ人への手紙8章28節及び34節)。贖われていることを、永遠のいのちが与えられていることを感謝して生きようではありませんか。