神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠(口語訳:永遠の思い)を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。(伝道者の書3章11節)

1.イザヤ書40章27節―31節
2.イザヤ書46章3節―13節
3.ヨハネの福音書12章20節―33節
4.ローマ人への手紙11章25節―36節

マルタとマリアの兄弟ラザロが病んでいたので、姉妹は使いを送って「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」と、イエス様にラザロが病気であることを伝えたのですが、イエス様は「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」と仰せられ、すぐにかけつけることをせずそのおられたところに二日とどまられてからイエス様を石うちにしようとしたユダにもう一度行こうと仰せられただけでなく、ラザロが死んだこととその場に居合わさなかったことを喜ぶとともにラザロのところに行こうと仰せられたのでした。イエス様が着かれたときにはすでに墓の中に置かれてから四日も経っていたため、マルタもマリアも「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」と言いましたが、イエス様はラザロが亡くなるのを待っておられたのは、ラザロの病をいやすのではなく、死からのよみがえりをもって栄光を現すためでした(ヨハネの福音書11章1節―44節)。今日の聖句「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠(口語訳:永遠の思い)を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」を心に据えて、「どうして」と思うようなことが起きても、「どうして今」と、私たちには理解できないようなことが起きても、祈っても答えがなかなか得られないような時も、主の時があること、主にご計画があること、主はすべてのことを働かせて益としてくださる方であることを(ローマ人への手紙8章28節)忘れずに、主と主の時を待ち望んで生きようではありませんか。