万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。(ペテロの手紙第一4章7節)

1.マタイの福音書24章1節―35節
2.テサロニケへの手紙第二2章1節―12節
3.テモテへの手紙第二3章1節―5節
4.ヤコブの手紙4章1節ー10節

世の終わりの前兆についてイエス様が「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々でききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。(マタイの福音書24章1節―8節)」と仰せられましたが、ウクライナ情勢を見るにつけ、みことばの確かさを思います。国連の安全保障理事会においてウクライナの大使の「静まって亡くなった人々のために黙祷しましょう。」という呼びかけを、ロシアの大使がさえぎろうとしても、それに合わせて黙祷が捧げられ、黙祷が終わると拍手が起こった様子が報道されましたが、両国の大使の態度に、その根底にある違いを見せられたように思います。私は、、高ぶって神に栄光を帰さなかったために虫にかまれて息絶えたヘロデのように、プーチンも虫にかまれて亡くなれば、と思いましたが(使徒の働き12章20節―23節)、もう一方で十字架につけられたイエス様が「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカの福音書23章34節)」と、殉教の死をとげられたステパノが息をひきとる前「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。(使徒の働き7章60節)」と祈られたことを、神の願いはすべての人が救われて真理をしることであることを思い起こし、欲に支配され戦争を仕掛けたプーチンも不法の者、すなわちサタンの試みにあっていることを思わされ、彼の死を願ったことを悔い改め、悪魔や肉の働きから解放されるように、主が触れてくださるように祈りました。ペテロが「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」と勧めているように、主のみこころが行われるように祈ろうではありませんか。