信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、義人の祈りは働くと、大きな力があります。(ヤコブの手紙5章16節)

1.詩篇66篇16節―20節
2.使徒の働き3章1節―16節
3.ローマ人への手紙1章16節―17節
4.ピリピ人への手紙3章5節―9節

今日の聖句は「信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」と、大きな力を発揮する祈りは、「信仰による祈り」であり「義人の祈り」と語っています。ところで、広辞苑は信仰について「信じたっとぶこと。宗教活動の意識的側面をいい、神聖なもの(絶対者・神をも含む)に対する畏怖からよりは、親和の情から生ずると考えられ、儀礼と相俟って(あいまって)宗教の体系を構成し、集団性および共通性を有する。」と説明し、多くの辞書は神仏を信じることのように語っていますが、それらのものは信仰というよりも宗教心ではないでしょうか。宗教と神とは根本的な違いがあるのは、宗教は哲学の領域であり、信仰は、ローマ人への手紙10章17節が「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」と語っているようにキリストとの関係によるものであることを語っています。次に義人についてですが、他者と自分を比較して自分を義人と自任していても、ローマ人への手紙3章23節―24節は「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」と語っています。恵みによって義人とされていること忘れずに、弟子たちと同じ信仰が与えられていることを自覚し、お互いの間に何かわだかまりがあるなら、お互いに赦し合い、心をひとつにして主を信頼し、主のお働きに期待して祈りを捧げるようにしようではありませんか。