怒りをおそくする者は大いなる悟りがあり、気の短い者は愚かさをあらわす。(口語訳:箴言14章29節)
1.詩篇37篇1節ー8節
2.エレミヤ書9章23節―24節
3.エペソ人への手4章26節―27節
4.ヤコブの手紙1章13節ー21節
カインは主が弟アベルとそのささげ物とに目を留められたのに自分と自分のささげ物には目を留められなかったためにひどく怒り、顔を伏せたので、主は彼に「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋したっている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」と警告したのですが、彼はアベルを殺害してしまったのでした。主は、弟を殺害し土に埋めたこと、その土地は耕しても何も収穫できないこと、地上をさまよい歩くさすらい人になることをカインに告げると、カインは「私の咎は、大きすぎてにないきれません。」と告白するとともに、「ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」と、主の言われることは真実であることを認めた上で自分の考えを申し上げると、主は彼が殺されないようにされたのでした(創世記4章1節―17節 )。彼を追い出したのも耕しても収穫を得ることのできない地となってまったからではないでしょうか。咎を認め、担いきれないと告白したカインに対する神のご配慮に、主は確かに怒るのに遅く、恵みと愛に満ちておられる方であることを思います。今日の聖句は「怒りをおそくする者は大いなる悟りがあり、気の短い者は愚かさをあらわす。」と怒りを遅くする秘訣を語っていますが、その悟りとは神を知っていることにあるのではないでしょうか。いつわりをもってのろわれても「たぶん。主は私のご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、わたしに幸せを報いてくださるだろう。」と部下たちに言ったダビデのように(サムエル記第二16章12節)、怒りや憤りに支配されないためにサタンの策略に陥らないように、主は全てをご存知であることを思い起こし、怒りや憤りを招くような人のことばにはいちいち反応しないようにしようではありませんか。