もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。(コリント人への手紙第一15章16節―17節)
1.使徒の働き13章32節―39節
2.ローマ人への手紙6章17節―23節
3.ローマ人への手紙7章23節―8章4節
4.エペソ人への手紙2章1節―9節
主はアダムに「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木から取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と仰せられたように、アダムが神の警告を直接聞いていなかった、悪魔にだまされてすでに食べてしまっていたエバの声に聞き従って食べて罪を犯したことによって人類に死が臨むことになったのでした。パウロは「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」と、「もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。」と、十字架の死は罪に対する罰であるため、復活がなければ罪に勝利することができないことを語っています。ですから、パウロは「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。(コリント人への手紙第一15章3節―4節)」と、イエス様は確かに死なれたことと、死からよみがえられたことはすでに聖書が預言されていたことであることを強調しています。聖書のみことばは真理であり、真実であり、信じるに足りるものであることを心に据えて、ことばや行いで間違いを犯した時、そのために十字架があることを思うとともに、私たちの行いによって恵みによって与えらている救いがキャンセルされることのがなく、永遠のいのちが与えられていることを感謝しようではありませんか。