あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことがありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。(ヨハネの福音書16章24節)
1.ヨハネの福音書14章12節ー14節
2.テサロニケへの手紙第一5章12節ー18節
3.ヤコブの手紙4章1節ー10節
4.ヨハネの手紙第一5章5節ー15節
イエス様はやがて弟子たちが迫害に会うことと、彼らとの別れの時が来ること、しかし、それは助け主である御霊が来るためであることを語るとともに「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜びます。あなたがたは悲しむが、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。女が子を産むときには、その時が来たので苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びおために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。」と十字架の死と復活、昇天しないと助け主である御霊が来ない事を話されてから、「あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことがありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」と仰せられたのでした。聖霊が下り、聖霊の力に満たされたペテロは生まれつき足のなえた方に「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、彼の右手をとって立たせると彼は歩き出し、歩いたりはねたりしながら神を賛美してペテロとヨハネと一緒に宮に入ったのでした。それを見て驚いた人々に対して、ペテロは主の御名の力と信仰について、十字架の死と復活について語ったのですが、それが原因となり、大祭司やユダヤ人の指導者たちからイエスの名によって語ったり教えたりしないように命じられただけでなくおどされたのでした。その報告を受けた人々はみな心を一つにして「主よ。いま彼らの脅しをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。御手を伸ばしていやしを行わせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行わせてください。」と祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだしたのでした(使徒の働き3章1節―4章31節)。主の御名にある権威と威力がどれほどのものであるのかをしっかりと心に据えて祈ろうではありませんか。