すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。(コリント人への手紙第二4章15節)
1.イザヤ書43章1節ー7節
2.ローマ人への手紙8章18節ー20節
3.コリント人への手紙第二3章9節ー18節
4.ペテロの手紙第一4章12節ー16節
主がダビデに「わたしは彼(ダビデの子孫)にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように彼から取り去ることはない。(サムエル記第二7章14節―15節)」と、仰せられたように、ダビデの子孫が罪を犯しても恵みがなくなることはないことを約束されましたし、主から「立って、陶器師の家に下れ。そこで、あなたに、わたしのことばを聞かせよう。」と言われたエレミヤが陶器師の家に下って行くと、陶器師は、粘土で製作中の器を自分の手でこわし、再びそれを陶器師御自身の気に入ったほかの器に作り替えたところでした。すると、主から「イスラエルの家よ。この陶器師のように、あなたがたにすることはできないだろうか。―主の御告げー見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ。あなたがたも、わたしの手の中にある。」と言われたのでした(エレミヤ署18章1節―6節)。キリスト者はイスラエルの民同様神の子とされ、聖霊によって「アバ。父」と神を父と呼ぶ特権が与えられていますが、罪を犯したために会う試練や、ヨブやペテロのように信仰が試されるためにサタンの試みに会うなど、さまざまな試練に会いますが、今日の聖句「すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。」を心に留めて、神の栄光が現れるように、どんなことも益としてくださる恵みとまことに満ちておられる主がいつもともにおられることを、ローマ人への手紙5章20節が「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」と語っているように、十字架の恵みをいつも感謝して生きようではありませんか。