神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8章28節)
1.申命記8章1節ー19節
2.伝道者の書3章1節ー11節
3.ヘブル人への手紙12章2節ー11節
4.ペテロの手紙第一5章7節ー11節
ヨブ記1章と2章に主から「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」と尋ねられたサタンが「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。あなたは彼と、その家のすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなに向かってのろうに違いありません。」と答えたので、主は「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」と、二度目はサタンに「彼をおまえの手に任せる。ただ彼のいのちには触れるな。」と、条件付きでヨブを試みることを許されたのでした。ペテロもサタン(悪魔)の試みに会いイエス様を三度否定しましたが(ルカの福音書22章31節)、ヨブは「私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。(ヨブ記42章5節)」と、ペテロはさまざまな試練の中で悲しむようなことがあっても信仰の試練は、金よりも尊く、称賛と光栄と栄誉に変わることを語るとともに「あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。」と、信仰の真髄を悟ったのでした(ペテロの手紙1章5節―7節及び21節)。さまざまな苦悩と迫害にあったパウロのように「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」と告白できるように、神のご計画に従って召された者、すなわちキリスト者のためにはサタンの試みさえも信仰の糧にされる信仰の完成者であるイエス様を仰ぎ見て生きようではありませんか。