神にとって不可能なことは一つもありません。(ルカの福音書1章37節)

1.マタイの福音書19章16節ー26節
2.マルコの福音書14章32節ー36節
3.ローマ人への手紙11章33節ー36節

「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」という、御使いガブリエルからイエス様を宿し生むことになることを告げられたマリヤの問いかけに対してガブリエルは「神にとって不可能なことは一つもありません。」と告げたのでした。パウロは「私は貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなこともできるのです。(ピリピ人への手紙4章12節―13節)」と告白していますが、どんな状況にあっても対処する方法は、自分の知恵や力によるものではなく、神の力、神の知恵であり、信仰を完成させてくださる死からよみがえられたイエス・キリスト(コリント人への手紙第一1章24節、ヘブル人への手紙12章2節)をいつも思っていたからではないでしょうか(テモテへの手紙第二2章8節)。イエス様は「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。」と告白してから「どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」と、与えらている使命に生きるためにご自身を神に委ねられました。パウロも肉体に与えられたとげを去らせてくださるように三度主に願いましたが「わたしの恵みはあなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と、その願いはしりぞけられたのですが、それは高ぶることのないためであることを悟ったのでした。神にとって不可能なことは一つもありませんが、私たちの思いや考えでは理解できないようなことが起きても、神は最善をなさる方であることをも心に据えて生きようではありませんか。