いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事に感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケへの手紙第一5章17節―18節)
1.ルカの福音書18章1節ー8節
2.テモテへの手紙第二2章7節ー14節
3.ヘブル人への手紙4章14節ー16節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー3節
パウロはキリストを信じる前の状態を「あなたがたは自分の罪過と罪の中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。(エペソ人への手紙2章1節―3節)」と語ってから、キリストを信じたことによって罪禍や罪、悪魔の支配からだけでなく、神の怒りからも救われていること(ローマ人への手紙5章9節)を語るとともに、「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ人への手紙12章2節)」とキリスト者はキリストを信じる前と同じ生き方をするのではなく、何が神のみこころで、神に受け入れられるかを(2017訳:神に喜ばれること)わきまえ知る、すなわち見分けるためには心を新たにする必要があることを語っています。イエス様は杯を取り、感謝をささげてから「この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。(マタイの福音書26章27節―28節)」と十字架の苦しみを知りながら感謝をささげたのでした。苦しみにも勝るほどのことが起こることをご存知だったからではないでしょうか。どんな出来事の背後にも私たちには理解できない神のご計画があることを心に留めて、死を覚悟するほどの迫害にあったパウロが「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事に感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」と勧めているように、神が望んでおられることを実践するためにいつもキリストのことを思って生きようではありませんか。