主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです。まぬけ者は知らず、愚かな者にはこれがわかりません。(詩篇92篇5節―6節)

1.イザヤ書55章6節ー11節
2.ローマ人への手紙11章25節ー36節
3.コリント人への手紙第一1章18節ー25節
4.コリント人への手紙第一2章7節ー14節

パウロは「私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。(コリント人への手紙第一15章9節―10節)」と語っているように、パリサイ人として自分の義に生きていたときには考えたこともない人生を歩むことになったことを証しているのではないでしょうか。人は神によって創造された者であるために神の存在をなんとなく知っていますが、パウロは「彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」と、愚かな者の特徴を語っています(ローマ人への手紙1章21節―25節)。ギリシャ人は知恵を追求していましたが、アテネの町が偶像でいっぱいだったので、パウロは「知られない神に」と刻まれた祭壇があることに触れて、「あなたがたが知らずに拝んでいるものを教えましょう。」と言って偶像崇拝をやめることと復活について語ると、信仰に入った方々もおられましたが(使徒の働き17章16節ー34節)今日の聖句が「主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです。まぬけ者は知らず、愚かな者にはこれがわかりません。」と語っているように、あざ笑う人、「このことについては、またいつか聞くことにしとう」と言って去った人々もいたのでした。理解できないようなことがあっても神にはご計画があることを、神の偉大さを思い起こし、主を信頼して生きようではありませんか。