力の限り、見張って、あなたの心を守れ。いのちの泉はこれからわく。(箴言4章23節)

1.ヨハネの福音書4章13節ー14節
2.ヨハネの福音書7章37節ー39節
3.ピリピ人への手紙4章4節ー8節
4.ヘブル人への手紙3章12節ー4章1節

イエス様に「あなたのお弟子たちは、なぜ長老たちの言い伝えを犯すのですか。パンを食べるときに手を洗っていないではありませんか」と言ったパリサイ人や律法学者に「この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。」と、イザヤ書29章13節の預言を引用して偽善者と言われてから「口から入る物はみな、腹に入り、かわやに捨てられることを知らないのですか。しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て来るからです。これらは、人を汚すものです。しかし、洗わない手で食べることは人を汚しません。」と、ことばや行動の源泉が心にあることを話されました(マタイの福音書15章1節―20節)。ところで、主が「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。(エレミヤ書17章9節)」と、ダビデが「彼らは偽りを好み、口では祝福し、心の中でのろう。(詩篇62篇4節)」と語っているように人は心にもないことを話すようなことをしますが、その理由をヘブル人への手紙10章22節「私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」に見ることができるのではないでしょうか。今日の聖句は「力の限り、見張って、あなたの心を守れ。いのちの泉はこれからわく。」と、主から与えられている豊かないのちで生き生きと生きるために(ヨハネの福音書10章10節)、心がどこを向いているのかを吟味して心を守るように勧めています。心が守られるためにパウロが「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」と勧めているように、すべてのことを益としてしてくださる主に心のうちをすべて申し上げ、永遠のいのちが与えられていることを感謝して生きようではありませんか。