イスラエルよ。主を待て。主には恵みがあり、豊かな贖いがある。主は、すべての不義からイスラエルを贖い出される。(詩篇130篇7節ー8節)

1.ヨハネの福音書1章14節ー18節
2.コリント人への手紙第一4章4節ー5節
3.エペソ人への手紙2章1節ー9節
4.ヘブル人への手紙4章14節ー16節

パウロは「あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手にる、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。・・・私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。」とキリスト者はイスラエルの民と同等の立場が与えられているのです。イスラエルの歴史を見ると、民が主をないがしろにして自分勝手な行動に走っても、ダビデに子孫が罪を犯した時には人の杖やむちをもって懲らしめるけれども恵み(愛)を取り去ることはしない、と約束されたように、主に助けを求めると、主は民を助けられたのでした。今日の聖句「イスラエルよ。主を待て。主には恵みがあり、豊かな贖いがある。主は、すべての不義からイスラエルを贖い出される。」を心に据えて、過ちや失敗を犯して自分で自分を罪に定めて自己嫌悪に陥るよりも、主を待つ、すなわち、パウロが自分で自分をさばく権利がないことを告白するとともに、先走ってさばかないように勧告しているように(コリント人への手紙第一4章4節―5節)、主に立ち返り、恵みの上にさらに恵みを受けて(ヨハネの福音書1章16節)、悔い改めた民にネヘミヤたちが勧めたように主を喜んで主からの力を得て生きようではありませんか(ネヘミヤ書8章9節ー12節)。