盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。(ヨハネの福音書10章10節)

1.ヨハネの福音書316節―21
2.ヨハネの福音書842節―47
3.使徒の働き269節―20
4.ヨハネの手紙第一55節―13

創世記2章7 節は「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。」と、人は神によって生かされていることを、同章16節―17節は、神である主がアダムに「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるそのとき、あなたは必ず死ぬ」と自由意志を与えられると共に警告も与えられたのでした。神が警告を与えられた時にはまだ創造されていなかったエバに、サタンは善悪の知識の木から取って食べても「あなたがたは決して死にません」と、神のことばを完全に否定しただけでなく、主が禁じた理由について、善悪の知識の木から取って食べたなら、あなたがたは神のようになって自分で善悪を判断できるようになることを神は知っているからである、といかにも自分が真実を知っているかのように話したために、エバは偽り者の父である悪魔のことばを信じて食べ、そばにいたアダムに与えたので、アダムも食べたことによって主が仰せられたように人類に死が臨むことになったのですが、今日の聖句が「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」と語っているように、神は御子イエス様を人としてお遣わしになり、十字架をもって、イエス様を信じるなら死をもたらす罪から完全に贖われ、永遠のいのちが与えられるだけでなく、罪を犯すように仕向けてくる盗人、すなわち悪魔の支配からも解放してくださり神の御支配へ移してくださったのでした。悪魔はキリスト者に火矢を射ってくるので(エペソ人への手紙6章16節)、さまざまな問題や恐れ、思い煩いが襲って来ますが、信仰の完成者であるイエス様を見上げ、イエス様との交わりを深くすればするほどイエス様が与えてくださったいのちが豊かにされていくのではないでしょうか。いつも死者の中からよみがえられたイエス・キリストのことを思うようにしようではありませんか(テモテへの手紙第二2章8節)。