どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと信仰をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。(ローマ人への手紙15章13節)

1.ローマ人への手紙425節―55
2.ローマ人への手紙8章19節ー24節
3.コリント人への手紙第一1512節―21
4.ペテロの手紙第一13節ー9節及18節ー21節

元旦には人々はこぞって初詣でをし、さまざまな願いを祈りますし、神社があると手を合わせて願いごとを祈りますが、そのような願いは欲が満たされ自己満足を得るためのものであり、その望みが願ったとおり確実に与えられる、という保証もありませんし、その願いがかなえられると、人は望みをもつことによって生き生きと生きることができるので、この世が与えることができる望みは一時的な満足を与えることができても、心の飢え渇きを満たすことはできないので、次から次へとさらなる望みを求め続けるような生き方、望みそのものはいつも自分から発するものであり、失望に終わる可能性もありますし、死に勝利する力はありません。しかし、パウロは「どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと信仰をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。」と祈っておられますが、そこには私たちが信じている神は私たちに望みを与えることのできる神であること、その神が信仰によってしか得ることのできない喜びと信仰で満たしてくださることと、私たちの努力よるのではなく、聖霊の力によって望みにあふれるようにしてくださることを語っています。ペテロは、捕らえられたイエス様の様子を見るために大祭司の中庭にいましたが、イエス様が預言されたように、ペテロは三度イエス様を知らない、と言ったのですが、三度目にイエス様が振り向いてペテロをご覧になったので、イエス様のことばを思い起こし、外に出て激しく泣いたのでした(ルカの福音書22章54節―62節)。しかし、ペテロは、イエス様が死からよみがえられたことによって生ける希望を持つ者となり、「あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです」と語るとともに、聖霊の力に満たされた彼は大胆に福音を語る者となり、迫害にあっても信仰による喜びの中に生きられたのでした。私たちの神がどのような方であるかを忘れずに、私たちに与えられている望みは、死によって消滅するような単なる望みでないことを心に据えて、コロナ禍の中で恐れにとらえられている人々が望みの神を知ることができますように祈ろうではありませんか。