にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。(マタイの福音書7章15節―17節)

1.ヨハネの福音書154節ー8
2.ガラテヤ人への手紙519節―24
3.ヤコブの手紙2章14節ー26節
4.ヨハネの手紙第一4章7節ー13節

パウロは「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます(ローマ人への手紙8章16節)」と、またヘブル人への手紙4章12節が「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」と語っているように、人には霊が与えられているので、何らかの恐れを持つと世の人々は、お坊さんに祈っていただいたり、お祓いをしてもらいに神社に行ったり、占い師や霊媒者に助けを求めてしまうのではないでしょうか。たとえば東北地方には霊能者イタコが、沖縄にはユタが、さまざまな地域には拝み屋さんが、神からの御告げと称して人々に助言を与えますが、その背後には光の御使に変装し世全体を支配しているサタンの働きがあることは明白ですが、パウロがキリストの使徒に変装して人を欺く働きをするにせ使徒がいることを語っているように(コリント人への手紙第二11章1節―15節)さまざまな異端が日本にも入って来ています。良い木はイエス様以外に存在していません。ですから、キリスト者は神に栄光を帰す良い実をつけられるはずなのですが(ヨハネの福音書15章8節)、イエス様は種まきのたとえ話で「いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいや富の惑わしがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。(マタイの福音書13章22節)」と仰せられました。ですから、パウロは「世と調子を合わせてはいけません(ローマ人への手紙12章2節)」と「神の恵みをむだに受けないようにしてください。(コリント人への手紙第二6章1節)」と勧告しているのではないでしょうか。イエス様は「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです(ヨハネの福音書13章34節―35節)」と、主はキリスト者同士が情ではなく御霊の実である神の愛で愛し合う事を願っておられます(ガラテヤ人への手紙5章22節)。戒めを守る秘訣はイエス様を愛することにあることをイエス様は仰せられました。世の人々がキリスト者を見て神を知ることができるような生き方をすることができるように自分ではなく主を愛して生きることができるように御霊に助けていただこうではありませんか。