私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(コリント人への手紙第二3章4節)

1.イザヤ書43章1節ー7節
2.ヨハネの福音書1714節―22
3.ペテロの手紙 第一412節―14
4.ペテロの手紙第一57節―11

イエス人様は、ご自身を一粒の麦にたとえられてご自身の死について語られてから「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現してください。」と申し上げると、天から「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」と声があったのですが(ヨハネの福音書12章24節―28節)、復活によって現されたのですが、そのためには十字架の死があったのでした。今はオリンピックの話題が毎日のようにされていますが、今日の聖句は「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」とキリスト者になったなら、神の恵みによりキリスト・イエスによる贖いのゆえに、値ないし義人と認められただけでなく(ローマ人への手紙3章24節)、主の栄光が与えられるので、キリスト者としての歩みは栄光からスタートし、箴言4章18節が「義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。」と語っているように、主の栄光を反映させながら、日々新たにされ、栄光が増す人生であることを、しかも、それは人の努力ではなく、御霊によるものであることを心に留め、世の知恵や人の知恵に惑わされず、この世で主の栄光を反映して光り輝いて生きるために、私たち自身をはじめ、すべてのことは主の御手の中にあることを忘れずに、神の霊感によって与えられたいのちのことばをしっかり握って生きようではありませんか(ピリピ人への手紙2章14節―16節)。