いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。(テサロニケへの手紙第一516節―17節)

1.ヨハネの福音書1619節―24
2.エペソ人への手紙610節―20
3.コロサイ人への手紙4章2節―4節

イエス様は祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされ、夜明けになってからで弟子たちを呼び寄せて、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられたように(ルカの福音書6章12節―13節)、福音書にはイエス様がよく祈られたことが書かれています。イエス様は「あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。(ヨハネの福音書16章24節)」と主の御名で祈ることを勧めておられますが、その理由として祈る者の喜びが満ち満ちたもの、すなわち喜びで心が満たされるためであることを語っています。パウロは迫害にあって苦しまれましたが、投獄の身でありながらも「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。(エペソ人への手紙6章18節―20節)」と獄から解放されるよりも大胆に福音が語れるように、祈りを要請されただけでなく、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。」と、祈ることを勧めています。イエス様が祈り終わったとき、弟子のひとりが「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」と申し上げると(ルカの福音書11章1節)、主は一般的に「主の祈り」と言われている祈りを教えてくださいました。主はいつもともにいてくださることを、私たちの願いや祈りを聞いてくだるだけでなく、応答してくださる方であることを喜び、どんなときにも必要なものであれば必ず与えてくださる主に期待して祈ろうではありませんか。