悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(ローマ人への手紙12章21節)1.詩篇37篇1節―9節
2.マタイの福音書5章38節―48節
3.ルカの福音書23章27節―43節
4.テモテへの手紙第一2章1節―8節
人は義なる神に似た者として創造されたために、悪に対して憤りを覚えるのではないでしょうか。しかし、問題は、神が禁じた善悪の知識の木から取って食べても決して死なないだけでなく、神のようになって善悪を知るようになるという悪魔とも呼ばれるサタンの偽りのことばを信じて善悪の知識の木から取って食べたことによって、人は自分の価値観や自分の考えを基準に善悪を判断してしまいがちになるのではないでしょうか。ですから、伝道者の書7章16節は「あなたは義に過ぎてはならない。また賢きに過ぎてはならない。あなたはどうして自分を滅ぼしてよかろうか。(口語訳)」と警告しています。イエス・キリスト信じる信仰に基づいて神から与えられる神の義を知らなかったパウロは自分の考えでイエスの名に強硬に敵対すべきだと考えてキリスト者を迫害していたのですが、ダマスコの途上でイエス様から「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ」と声をかけられ(使徒の働き26章9節―20節)、イエス様を信じて神の義を、十字架の恵みを知る者となったのでした。今日の聖句「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」は、勝利を得る道を語っていますが、それは、「私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。(コリンと人への手紙 第二11章1節)」と、自分と同じようにイエス様を模範として生きることを願っているパウロのことばです。十字架にかけられたイエス様は「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」と人々のためにとりなされたのでした。ステパノも石で打ち殺そうとしている人々のために「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」ととりなして祈られましたが、そこにはステパノを殺すことに賛成していたサウロとも呼ばれていたパウロがいたのでした(使徒の働き7章60節―8章1節)。イエス様は「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(マタイの福音書5章44節)」と仰せられました。イエス様が、ステパノが「人々のためにとりなして祈られたように、善をもって悪に打ち勝つ秘訣は「とりなしの祈り」にあるのではないでしょうか。