主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。(哀歌3章25節―26節)

1.ヨシュア記6章1節―10
2.伝道者の書5章1節ー2節
3.イザヤ書55章6節ー11節
4.ペテロの手紙 第一4章12節―19節

イスラエルの民は、前方には紅海、後方からはエジプト軍が追ってきているのを見て非常に恐れて主に向かって叫びましたが、モーセに「エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのです。私たちがエジプトであなたに言ったことは、こうではありませんでしたが。『私たちのことはかまわないで、私たちをエジプトで仕えさせてください。』事実、エジプトに仕えるほうが、この荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」と、パロの初子をはじめ女奴隷の初子や家畜の初子に至るまでみな死にましたが、二本の門柱とかもいに子羊の血をつけたイスラエルの民の初子は殺されずに死から守られたことをも忘れ、エジプト人に殺されてしまうという結論をもってモーセに言ったのですが、パロが召し抱えていたエジプトの呪術師や呪法者に勝利できたのは、主の働きであったことを経験していたモーセは「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」と、主が戦ってくださることを語るとともに黙って主の救いを見るように民に勧告したのでした(出エジプト記141節―14節)。人は窮地に追い込まれると、神がどのような方であるかを忘れて、パニック状態になりイスラエルの民と同じような不信の罪を犯してしまうのではないでしょうか。今日の聖句「主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。」は、勝利を見るための秘訣を語っているのではないでしょうか。自分の考えや思い、感情に振り回されないように、主がどのような方であるかを忘れずに、「黙って待つ」すなわち、神の安息の中にとどまり(ヘブル人への手紙410節―11節)、主を信頼して生活しようではありませんか。