イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネの福音書14章6節)

1.ローマ人への手紙3章19節ー24節
2.ローマ人への手紙6章17 節ー23節
3.ピリピ人への手紙3章17節ー4章1節
4.ヨハネの手紙第一5章1節ー13節

人は自分にとって幸いな道は何なのかと思案し、自分の考えや努力で道を開こうとしますし、自分の道は正しいと思いがちですが、箴言14章12節や箴言16章25節は「人の目にはまっすぐに見える道がある、その道の終わりは死の道である。(口語訳:人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるものがある。)」と語っています。イエス様は「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。(マタイの福音書16章26節)」と、この世で成功するかどうかよりも、大切なものがあることを語っています。箴言12章15節は「愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし、知恵のある者は忠告を聞き入れる。」と、自分の道を正しいと思う人は愚か者、すなわち神を認めていない人々であることを語っています。パウロは神に対して熱心でしたが、律法による自分の義に生き、イエス様を信じることによって与えられる神の義を知らずにキリスト者を迫害していましたが、ダマスコの途上でイエス様から「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。」との忠告を受けたのでした(使徒の働き26章14節)。キリスト者となった彼は、自分のうちに罪(口語訳:罪の力)が宿っている事を知る者となり、自分のみじめさを知りましたが、それと同時にキリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してないという結論を出され、神の愛と恵みを深く知る者となり(ローマ人への手紙7章19節―8章3節)、「私たちの国籍は天にあります。(ピリピ人への手紙3章20節)」と宣言する人に変えられたのでした。コロナ禍の中にあって死を恐れている人々に福音が届くように祈ろうではありませんか。