わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはそのひとたちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます(ヨハネの福音書6章39節―40節)

1.ヨハネの福音書519節―26
2.ヨハネの福音書1624節―173
3.コリント人への手紙 第一1512節―22
4.エペソ人への手紙2章1節ー9節

パウロは生きているエペソの聖徒たちに「あなたがたは自分の罪過と罪との中で死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。(エペソ人への手紙2章1節―3節)」と、キリスト者になる前は絶望状態にあったことを語っていますが、ローマ人への手紙8章3節は「肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。」と、神は御子イエス様を人として「なだめの供え物」としてこの世にお遣わしになり、十字架の死をもって罪の解決を与えられた、人類を絶望状態から救われたのでした。恵みによって救われていることを、キリストによって贖われていることを忘れると、キリスト者であっても「自分」からなかなか解放されず、世の人々と同じように他者と自分を比較し、「あの人のような信仰がない。」とか「祈りがうまくできない」と、自分をさばき、自分に失望するような思いにかられることがあるのではないでしょうか。しかし、イエス様のことばである今日の聖句「わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはそのひとたちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます」を心に据えて、私たちがどう思おうと、どんなことがあっても主はともにおられ、決して失われる存在ではないこと、永遠のいのちが与えられていることを感謝して生きようではありませんか。