イエスは、また彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネの福音書8章12節)
1.詩篇36篇5節―9節
2.詩篇56篇8節ー13節
3.イザヤ書8章19節―9章4節
4.コリント人への手紙第二4章6節―10節
ダビデはサウル王の次の王として油を注がれましたが、自分の手で王座に座ろうなどという欲望がなかったにもかかわらず、ペリシテ人に勝利して凱旋したとき、女性たちが「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」と笑いながらくり返して歌ったのを聞いたサウルは非常に怒り不満に思って「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ」と言って、その日以来ダビデを疑いの目で見るようになり、ダビデを槍で壁に突き刺して殺そうとしたのですが、主はダビデを守られたのでした。ダビデはヨナタンの父サウルが自分のいのちを狙っているかどうかを確かめる方策を練るとともに、そのことが明白になった時どのような方法で知らせるかもヨナタンと相談した上で、ダビデは神を信頼するよりも自分の考えで自分のいのちを守ろうと行動し、さまざまな問題を引き起こしたのでしたが、窮地に追い込まれると、その度に主に立ち返り、いのちの光のうちに、主の御前で生きる者へと変えられたのでした(詩篇56篇13節)。イエス様について「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに勝たなかった。(ヨハネの福音書 1章4節―5節)」と語っています。やみ、すなわち悪魔は恐れや不安、懐疑心や不信仰をもつように攻撃してくるので、ダビデのように、まず、自分でなんとかしようと思案してもがくようなことをしてしまいがちになりますが、どうにもならないと「主よ」と、主の御名を呼ぶのではないでしょうか。そうすると、不思議に心が落ち着いて、信仰が回復し、主が物事に光を当ててくださるので、見えなかったものが見えて、正しい判断をするように導かれるのではないでしょうか。今日の聖句「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」を心に据えて、光の中を歩み続けることができるように、この世のやみの力に勝利された、信仰の完成者であるイエス様から目を離さないようにするとともに、真理のみことばで生きるようにしようではありませんか(詩篇119篇105節)。